俺たちに明日はない、こともない。

こっちと向こうと今と昔と。

カンチャナブリーへ

随分と前の話だが、今年の2月にタイへ旅行に行った。

そのときのことを気ままにだらだらと書いてみたい。

 

リチャード・フラナガンの小説「奥のほそ道」は第二次世界大戦中、捕虜として

日本軍による「泰面鉄道」の建設に従事させられた彼の父の経験をもとに

書かれた小説だ。

・・・小説、小説。

ここ数年は手にすることもめったになくなってきていたけれど

あの次々に頁をめくらずにはいられない感覚、読み終えた後に何とも胸にせまる

しみじみとした感じを大いに満喫し、改めて小説って良いものだな、と思った。

 

ところで題材となった「泰面鉄道」。

「戦場にかける橋」という同じテーマを扱った映画があって、それは子供のころに

テレビで見て鮮烈な印象を受けた。

その映画が頭の中のどこかに引っかかっていて、新聞の書評に掲載された本作品

が書店の店頭に平積みになっているのに気が付き我知らず手をのばしたのだ。

小説に描かれた世界。

映画の舞台となった場所。

歴史上に刻まれた現実としての泰面鉄道の存在。

この三つは大いに異なるのだろう。

 

「自分の目で 確かめる。」

 

あー、そうだ、「あそこ」へ行ってみたい。

行ってみようか。

行けるかな。

あの場所で陽の光をあび風に吹かれてみたい。

などと文学少年チックな言葉が臆面もなく溢れでてくる一方どこがでそれを好ましい

ことのように考えていることも確かである。

 

私は現在56歳、気力、体力、脳力の衰えをひしひしと感じているおっさんである。

これまでろくなことはなかった。

どうにかこうにかやりくりしてここまで来たけれどこの先はどうなることか。

残り時間は少なくなってきている、ということだけは確実であるように思われる。

世の多くの人、とりわけ私と同世代の方なら海外旅行など当たり前だろう。

私はツアーでくっついていくのが二度あったきりである。

知識はない。休みはとれるか。からだは大丈夫か。

・・・・それでも今しかない、か。

とうとう出不精で怖がりのおっさんはタイへの一人旅を決断したのだった。

 

 

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